浄土真宗本願寺派福井教区丹生組第十期連研の第9講(2017年5月7日、組内のK寺様にて開催)では、葬儀・通夜の心得についてお話しさせていただきました。

実際には資料をもとに、亡くなられてからお通夜・ご葬儀そして四十九日(いわゆる忌明け)までの具体的な流れも含めてお話ししましたが、ここでは気をつけるべきことなどを中心にまとめておきます。


葬儀や法事は、亡き方を偲ぶことと同時に、残された私(たち)にとって大切なご縁です。すなわち、亡き方のいのちを通して、私のいのちの有りよう、私のいのちの歩みを、仏さまに聞かせていただく機会です。

◎臨終勤行(枕経)は、亡き方(枕元)に向けてのお勤めではありません。本来の意味は、人生の終わりに臨んで(生前・いのちあるうちに)、本人がお育てにあずかったご本尊に対するお礼の勤行です。亡き方と一緒に、ご本尊(お仏壇)に向かってお勤めします。

浄土真宗のお勤めは、常に「仏徳讃嘆」、阿弥陀さまのお徳をお讃えすることです。通夜・葬儀の場合も同様。亡き方に対して行うものではありません。

◎法名は亡くなった人につける名前ではありません。仏さまのお仲間として、仏弟子として、浄土真宗門徒としての自覚を新たにするためにいただきます。ご本山で帰敬式を受式します。特別な資格などは不要です。お手次のお寺に相談しましょう。ちなみに本願寺派では1986年以降「尼」の字を廃止しています。男女の区別なく釋○○。

◎葬儀壇(荘厳壇)のお飾りはあくまでもご本尊が中心です。遺影、法名札は必ずしも必要ではありません。

◎本来なら、ご本尊の、棺の、いちばん近くでお参りしたい、お参りすべきがご遺族・ご親戚です。ところが実際は、時にご本尊に背を向けて、お勤めの最中であっても、参って来られた方の挨拶に追われています。これはおかしなことです。(葬祭ホールの方が仕切ることが多いので、遺族・親族だけの問題というより、ホールの方、僧侶含めて考えていかないといけないことですね。)

◎通夜、葬儀ではつぎのお勤めがつとまります。
◆通夜
・正信偈
・御文章(大聖世尊章)
・法話
正信偈はぜひ一緒におつとめしましょう。

◆葬儀
(・帰敬式 新たに法名をいただかれた場合)
・出棺勤行(内勤め) 帰三宝偈
昔「野辺の送り」をした頃、自宅から野外または龕薦堂(がんせんどう)と呼ばれる葬場への出棺の際につとまった勤行の名残。葬儀終了後の火葬場への出棺のことではありません。
・そのあとの阿弥陀経
還骨勤行(遺骨となって自宅にかえり、仏前に安置してつとめる勤行)として。
・路念仏
出棺後、葬場に到着するまでの道中にお称えした念仏(役僧さんが勤めることが多いですね)。
・葬場勤行
正信偈

◎亡き方と永遠にお別れするための儀式ではないので「告別式」とは言いません。

◎「清め塩は無用」です。このほか、浄土真宗の葬儀では必要のないことがいろいろあります。~してはバチがあたるから、よく分からないけどやらない、というのではなく、なぜしない/しなくてよいのか、あるいは、逆になぜそうする/いままでしてきたのか、受講者の皆さんで、あるいはご家族・ご親戚などとよく話し合うことが大切です。疑問に思うこと、心配なことは、お手次のお寺と話し合って理解を深めてください。

◎亡くなった日から四十九日間を中陰、中陰が満了するので四十九日目は満中陰と言います。浄土真宗では、この世の縁が尽きるとすぐにお浄土に生まれ仏とならせていただくと教えていただきます。中陰のお参りに追善供養、冥福を祈るような意味はありません。

中陰の意義のひとつは、亡き方と「話す」ことです。生前、面と向かっては話せなかったこと、遺影を前にして初めて話せることもあるのではないですか。また、身近な方を亡くして気力が湧きませんが、お参りをすること、カタチ(作法)に則っていくことで生きる気力につながっていくこともあるかもしれません。そうして少しずつ、身近な方亡き後の、新しい生活を始めていくことができるのだと思います。いままで任せきりだったお仏壇のお世話、お寺さんとお勤めの練習というのもよいですね。これはどうしたらいいの、と相談すること話し合うことも、み教えにふれていく大事な機会です。

ちなみに、大切な人の命日などのような日が近づいてくると、どうしてよいのかわからなくなり精神的に不安になる現象を「記念日反応」と言います。七日七日のお参り、一周忌・三回忌などの法事をだいじにつとめることは、記念日と向き合う、記念日反応を和らげる、グリーフケアの面からも意味のあることです。

さいごに、ことばをひとつご紹介します。

前(さき)に生まれんものは 後(のち)を導き 後に生まれんひとは 前を訪(とぶら)え
道綽(562~645)
(先に浄土に往生する者は後の者を導き、後から浄土に往生しようとする者は先立たれた方を訪ねなさい)

通夜・葬儀の意義はこれに尽きます。
「弔う」ことは、「訪う」ことです。私のいのちの有りよう、私のいのちの歩み(いま、これから)を、先立たれた方(直接の故人ばかりでなく、親鸞聖人をはじめ、み教えを綿々と伝えてくださった多くのご先祖がた)にお訪ねすることです。

昨今は時代の流れにより、家族葬、直葬など様々なスタイルの葬儀が営まれるようになりました。また、葬儀社による過剰ともいえる演出が見受けられることもあります。
本質を見失わないよう、大事に大事にお勤めしたいものです。